某専門学校の卒業公演に行ってきた所感

以下、最近部の「以上」表記まで本文に非ず。読み飛ばし推奨。
ツイートしようかとも思いましたが、「これツイート数二桁必至では...」となったので、一応は存在していた自分のブログに投げればいいじゃないということになりました。ブログなら文字数が実質無限なので、多分同じ話をツイートするのより文字数喰いますけど。
以上、読まれた方はそういうことです。


弟が専門学校を卒業するにあたり卒業公演をやると云うので親に引き摺られるかたちで行ってきました。所謂、クールジャパンに類する領域の人材育成を目的とした専門学校です。弟は俳優業を志す人間の養成を主とする学科所属で、当人の出番は舞台劇でした。重要キャラで出番も台詞もそこそこ有りだったので、わりといい位置に居るっぽいです。

弟の出番の劇は劇で、琴線に触れる部分が幾つかあったのですがそこは一先ず置いときます。
その前にアニメーター関係の学科の優秀学生表彰がありました。そこで、監督として表彰された学生が、「あぁ、学生エンジニアが一回それで死にたくなるやつだ」と思わされるような死にたくなる話をしていました。死ぬかプロジェクトメンバーを殺すかしたくなりました。
「私は『監督』と大層な役職名の下、表彰していただきましたが、チームの中では要求するばかりで実際に作業するのは、アニメーター役の子たちなんです。すごいのは彼らなんです。"ある時には3日も徹夜していたりしました。"」というようなお話をコメントとしてされるわけです。とても謙虚で奥ゆかしく、鼻につかない素晴らしい普通のコメントですね。
さて、死にたく、あるいは殺したくなるポイントはどこでしょう。はい。
学部生以下で何かしらのプロジェクトに一枚噛んだ人は皆知ってる、"専属のプロジェクトマネージャー居ないからタスクの見立てが甘くてデスマする"ところです。ゲームジャムやハッカソンはデスマをしに行くところなのでいいですが、望まぬデスマは即ちデスマーチなのです、わかりみに溢れろ。

諸学校(大体は中、高、高専、4大学部、専門)側で制度化しているプロジェクトでも学生有志によるプロジェクトでも恐らく一緒なんですが、手を挙げる学生ってのは実作業をするアクターをしたいわけです。「よし。人数は十分集まった。プロジェクトを始めるぜ!」ってとこまでは当然プロジェクトの進行上何も問題ない(というかまだ何も進行してない)のです。で、作業が始まるとタスクがそれはもう井戸水みたいに湧き出て来ますよね。ここで顕在化するのが「マネージャー居ねえから各タスクにどれだけ時間を要するか解らんのでメンバーそれぞれがとりあえず死なない程度に死にそうになるまでやる」体制です。死にたい。

はい、ここから問題っぽい話。
学生プロジェクトってそもそも、人材として「わざわざプロジェクトの対象の取り組みをやるために手を挙げるマン」しか回収できないんですよね。先述の"アクター"しかほぼ拾えないんですよ。
制度化されてる学内(あるいは学外との連携があってもよいが)プロジェクトの場合、教員との面談なりなんなりで、モノによって厳しさにはかなり差があるでしょうけど、選考があって、アクター志望者じゃないと「やる気が続かなさそうな奴を入れて他の連中の作業に遅れが出ては困る」という心理が選考する教員に働きます。
学生有志のプロジェクトの場合、有志の学生が、マネジしてくれそうな人間に対する伝手もアンテナもないでしょう。
もはや、「超人引っかけられれば輝石ラッキー、デスカーンもといデスマはありき」。死んだわ。

そうなんです。一回それで死んだんです。
当該公演において行われた舞台劇では琴線に触れた事象があったことは前述のとおりである。しかしながら、当該公演スケジュール上において上述の「素敵なデスマーチのお話」ともいうべきコメントが最も印象強い。したがって、ここでは舞台劇上の事象についての言及は避けるものとする。いいか、卒論でも学会投稿論文でも修論でもいいけど、「しかし」と云う表現はどうしても避けられない場合しか使うなよ。


というのが、本件の所感でした。ちなみに、全パラグラフ、最後の1センテンスはただのネタなので読まなくていいですよ。(最後の「しかし」の話は覚えとくと突っ返される回数減ると思うけど。)